オデッサ (Odesa)
オデッサはウクライナ最大の港湾を備えた同国を代表する工業都市であると共に、リゾート地、文学都市としても知られている. 黒海に面するオデッサはロシア帝国の時代より、ロシア帝国と外国の経済・文化の交流の拠点となっていた. 1920年代以降になると数多くの作家がオデッサに現れ、文学が盛んな地であることから、ユネスコの創造都市の文学部門に認定されている(「文化」の項に後述). また、その歴史地区は世界遺産リストに登録されている. 20世紀のオデッサ出身の作家はオデッサの人間の気質について「何かを理解するためにはどんなものでも手でじかに触り、歯で噛んでみなければ気のすまない」と説明している.
「オデッサ」の名称は、1529年以来オスマン帝国領だったハヂベイ(土: Hacıbey)と呼ばれたこの地を、露土戦争でロシア帝国が占領して改名するにあたり、この地にかつて古代ギリシアの植民都市オデッソス(古希: Ὀδησσός)が存在したという誤認に基づくと考えられている. (なお、実際のオデッソスは、オデッサから南西に約400km離れた現ブルガリア領ヴァルナ周辺にオデソス(勃: Одесос)として存在していた. )ギリシア風の地名が付けられた背景には、皇帝エカチェリーナ2世の治世に流行していた古典主義、また、町の発展に不可欠であるギリシア系商人と植民者の誘致を意図したことが挙げられている. ロシア帝国による1795年のオデッサの命名から1991年のウクライナの独立まで、長らく公用語の地位にあったロシア語では、Одессаと表記し、これをアヂェーサのように発音する.
ウクライナ語においてОдессаから表記上の「с」が1つ抜けた時期は定かではない.
オデッサは、ロシア語の話者が多数派を占める地域ではあるが、ソ連崩壊以降の法的な公用語はウクライナ語のみである. 従ってこの町の名もウクライナ語名Одесаのみが現代の公式な名称と認められる. この名前の音写については、日本語ではオデーサ、あるいはアクセント位置を示す長音符を用いずにオデサと表記する. しかし、「オデッサ 」読みが長らく慣れ親しまれてきたため、2022年までオデーサで呼ぶのは一部の専門家に限られていた.
2022年3月31日、ロシアのウクライナ侵攻に伴い外務省は日本政府として、同市の名称の表記を従来の「オデッサ」から、ウクライナ語の読み方に基づくとされる「オデーサ」に変更することを発表した. 「オデーサ国際ヴァイオリンコンクール 」もオデッサ読みは公式から廃されている.